(中略)
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く
啄木の明治四十三年の歌
日本語がかつて蹴ちらそうとした隣国語
한글(ハングル)
消そうとして決して消し去れなかった한글(ハングル)
용서하십시오(ヨンソハシプシオ) ゆるして下さい
汗水たらたら今度はこちらが習得する番です
(中略)
大辞典を枕にうたた寝すれば
「君の入ってきかたが遅かった」と
尹東柱(ユン・トンジュ)にやさしく詰(なじ)られる
ほんとうに遅かった
けれどもなにごとも
遅すぎたとは思わないことにしています
若い詩人 尹東柱
1945年2月 福岡刑務所で獄死
それがあなたたちにとっての光復節
わたくしたちにとっては降伏節の
8月15日をさかのぼる僅か半年前であったとは
まだ学生服を着たままで
純潔だけを凍結したようなあなたの瞳が眩しい
――空を仰ぎ一点のはじらいもなきことを――
とうたい
当時敢然と한글(ハングル)で詩を書いた
あなたの若さが眩しくそして痛ましい
木の切り株に腰かけて
月光のように澄んだ詩篇のいくつかを
たどたどしい発音で読んでみるのだが
あなたはにこりともしない
是非もないこと
この先
どのあたりまで行けるでしょうか
行けるところまで
行き行きて倒れ伏すとも萩の原*
*『おくのほそ道』曾良の句より
茨木のり子詩集「寸志」所収
茨木さんは1926年生まれ。太平洋戦争敗戦時には19歳でした。そしてご主人を亡くされた後50歳から韓国語を学び始められたそうです。
「入口あたりでは/はしゃいでいた/なにもかも珍しく」私もそうです。
「용서하십시오(ヨンソハシプシオ)ゆるして下さい」この一行に私ははっとしました。なかなか言えない言葉かもしれませんが、こうして隣国語で素直に詫びる心の大切さに気が付きました。
「本当に遅かった/けれどもなにごとも/遅すぎたとは思わないことにしています」こういう言葉を聞くと安心します。
「――空を仰ぎ一点のはじらいもなきことを――」これは尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の一部分ですね。NHKのラジオまいにちハングル講座2010年1月号のテキスト中のエッセイでも紹介されたことのある有名な詩です。
「月光のように澄んだ詩篇のいくつかを/たどたどしい発音で読んでみるのだが/あなたはにこりともしない」本当に複雑な心境になります。私自身がこの時代のこと、実はよく知らない事が多くて、韓国に興味を持つようになってから知る事も多く愕然とする事があります。本当にまだまだこれからですね。
最後に尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩集「空と風と星と詩」の冒頭にある「序詩」をご紹介します。
空と風と星と詩 「序詩」 尹東柱
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵(こよい)も星が風に吹きさらされる。
(伊吹郷訳)