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あしあと(FOOTPRINTS)【4/10追記】 [아름다운 시 (詩)]

とっても嬉しいことがあったと思ったら、翌日にはとても残念なことがあって…自分のいる場所が実は砂のようにもろく崩れやすいものだったことに気が付きました…でもこれで幸せのバランスが上手くとれているのかしら?

変な前置きになりましたが、以前からご紹介しようと思っていた詩が一つあります。今から10年位前、図書館の返却直後未整理棚で偶然見つけた本の中に書かかれていた詩なのですが、良い詩だったので後からもう一度読みたいと思った時には本の題名を忘れてしまい、探せなくなっていた詩でした。

ある時、友人にこんな詩を知らないかと聞いてみました。
「砂の上に二人の足あとがあって、それが所々一人分しかない。良く考えると自分が困難に直面している時と一致する。でもそれは神様が自分の事をおんぶしてくれていたのだった。」

もしかしたら皆さんの中にもご存じの方がいらっしゃるかもしれませんね。その友人も「パワーズの詩ね!」と即答して後日カードをくれました。それがこれです。

足あと砂浜はがき.jpg

女子パウロ会↓
http://joshipaulo.jp/?pid=2364864

でも、私が読んだ詩はもう少し長かったような気がしたと思っていたら、こちらが正式版のようです。

「あしあと」

作:マーガレット・F・パワーズ 訳 松代恵美 

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従おうと決心したとき、
あなたは、すべての道で、わたしとともに歩み、
わたしを語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要をしたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」


この「あしあと」という詩に出会い、それ以降、海岸で誰かが残した足あとを見る度にこの詩を思い出していました。自分が辛い時、天に見放されていたのではなく、むしろその逆だったという発想に、なるほどそう考えると気持ちも少し軽くなると思いました。

でも私が最初に出会った詩はもう少し具体的な言葉が書かれていたような気がして…。気のせいかと思っていたのですが、昨日とうとう探していた詩を見つけました。

それがこれ。アデマール・デ・パロスというブラジルの詩人の「神われらと共に」別名「浜辺の足跡」という詩でした。


「神われらと共に」

夢を見た、クリスマスの夜。
浜辺を歩いていた、主と並んで。
砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。
私のそれと、主のそれと。

ふと思った、夢のなかでのことだ。
この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止まって後を振り返った。
足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。
ところどころ、二人の足跡でなく、
一人の足跡としかないのに。

私の生涯が走馬灯のように思い出された。

なんという驚き、一人の足跡しかないところは、
生涯でいちばん暗かった日とぴったり合う。

苦悶の日、
悪を選んだ日、
利己主義の日、
試練の日、
やりきれない日、
自分にやりきれなくなった日。

そこで、主のほうに向き直って、
あえて文句を言った。

「あなたは 日々私たちと共にいると約束されたではありませんか。
なぜ約束を守ってくださらなかったのか。
どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、
まさにあなたの存在が必要だったときに」

ところが、主は私に答えて言われた。

「友よ 砂の上に一人の足跡しか見えない日、
それは私がきみをおぶって歩いた日なのだよ」

アデマール・デ・パロス (曽野綾子著「老いの才覚」「現代に生きる聖書」より)


「老いの才覚」…!?
なぜこんな本を手に取って借りて帰ったのかは全然覚えていません。パワーズの「あしあと」とほとんど同じような内容ですが、どちらかの詩に触発されてもう一方が書かれたのたか、どこかで昔から伝えられている祈りの言葉なのか…詳しいことはよくわかりません。

でも私にとっては最初に出会ったアデマール・デ・パロスの詩の方が心にすっと入ってきます。 



4/10追記】
訂正です。アデマール・デ・パロスの「神われらと共に」は曽野綾子さんの「現代に生きる聖書」にもあるそうです。今日書店に行ってみたら「老いの才覚」が山積みになっていました。今人気の本らしいですね。手に取って見ると確かにあの詩が最後に紹介されていましたが、この本の出版が2010年なので、私が読んだ本ではありませんでした。本のタイトルに記憶がなかったのも納得!よくよく探してみたら2001年に発売された「現代に生きる聖書」にもこの詩が載っているそうです。失礼しました。

 


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あーびぃl

私もいつだったか、この詩のオリジナルの英語版を読みましたよ。
確かどこかのオフィスに額が飾られていて、そこに詩が入っていたのかな?
読んだ後、(いい意味で)すごくぞくっとしたことを覚えています。
人それぞれ捕え方が違うかもしれないけど、この詩は本当に意味が深いね。
普段いつもこの詩のことを覚えているわけではないけど、こうやって人生の所々でふっと思い出したいものです。

by あーびぃl (2011-04-06 09:54) 

花かんざし

あーびぃへ
こんにちは!コメントありがとうございます^^

この詩は作者不詳だったこともあったようで、
英文でも色々なバージョンがあるようですね。
そちらでは額に入れて飾ってある位だから
相当有名な詩なんですね~~

私も初めてこの詩を知った時は目からウロコが落ちたような感じでした。
確かにぞくっとする位に意味深いですね~~

これまでにも様々な場面で良い言葉に出会うことができました。
こういう経験が積み重なることを年の功というのかしら。
お互いよりよく生きたいものですね^^

by 花かんざし (2011-04-06 12:10) 

まりこ

花かんざしさん、こんばんは。私は詩が若干苦手なんですが、この詩は分かりやすくて、同時に大変勉強になりました。同じ題材でも、書き手によって内容が違ってくるものなんですね。
主の答えにははっとさせられました。神様の存在は信じていても、感じる事はできないとしても、こんな風に考えればいいと思わせてくれる詩ですね。

by まりこ (2011-04-08 20:46) 

花かんざし

まりこさん、こんばんは~
コメントありがとうございます♪

私も詩は苦手です~~。
でも時々、詩の中の宝石のような言葉にはっとさせられることがあります。
この詩もその一つです。

この詩の神様があまりに人間的なので目からウロコでした。

苦しい時には、魔法のような奇跡で問題解決してくれる人を待つより
共にいて苦しみを一緒に分かち合ってくれる人がいると信じる方が
より耐えられるということでしょうか

ところで、連載お疲れ様でした~。
勝手に「吉本新喜劇」のようなイメージを思い浮かべながら
楽しく読ませていただきました~。
あとがきに寄せられたまりこさんのメッセージも素晴らしい。

昨日の余震では被災地にまた被害が出て…
ようやくこれからという時に、再び襲った恐怖は計り知れないものだったでしょう。
無力な自分のできることはたかが知れていますが、
私も何事もよく考えて行動していきたいと思います。

by 花かんざし (2011-04-08 23:36) 

まりこ

花かんざしさん、こんばんは。
今度の地震は本当に大きな災害でしたが、
それを無駄にしてはいけませんよね。
被災しなかった側も、変わることが求められているのかもしれません。
連載を最後まで読んでくださってありがとうございました。
あんな風に仰って頂けるのが救いです。。
心よりお礼を申し上げます。

追伸
 隊長が足湯に走ったのは間違いなくツルのことがあったからです(笑)
 とてもナイスなカポーですが、私はエライことになったなぁと感慨に
 ふけっています。。
by まりこ (2011-04-09 21:46) 

花かんざし

まりこさん、おはようございます~
コメントありがとうございます^^

おっしゃる通り、震災を機に
変わることが求められているのかもしれませんね。

ところで隊長はかなり動揺されたようですね^^
私のビーズ師匠はウソンペンさんですが、
お二人の事とても祝福してましたよ~


by 花かんざし (2011-04-10 07:55) 

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