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試写会レビュー 「観客の琴線に触れる愛」 [【韓国映画】私の愛、私のそばに]

いよいよ24日の公開目前となった韓国映画『私の愛、私のそばに』ですが、先週の15日にはマスコミ試写会が開かれたようで多くの記事が出ました。拙い訳ですがその中から一つご紹介します。
映画の韓国公式HPはこちら↓です。

http://www.humanstory2009.co.kr/main.html

[レビュー] <私の愛、私のそばに> 観客達の心の琴線に触れる愛
[記者入力: 2009.09.15 20:56マックスム=キムギュハン記者]

ー・ゲーリック病にかかったジョンウ(キムミョンミン)は奇跡が起こることを信じて希望を断ち切れない。闘病中にジス(ジウォン)に出会って、積極的に愛し、孝試(国家公務員上級試験)勉強もあきらめないが、徐々に彼の筋肉は麻痺していく。日に日に変わっていく自分の体を見届けるのが怖いジョンウは、あれほど避けたかった言語障害を体験するようになる。

毎日死と向き合う女と、死を目前に控えた男が出会った。 愛する人の泣く姿をこれ以上見る自信がないジョンウは、わざとジスの心を傷つけて別れを選ぼうとする。 状況だけ見ると新派に流れる要素が多い映画だが<私の愛、私のそばに>は涙を強要しない。 劇中のキャラクタ
と一定の距離を維持したパクジンピョ監督は、涙がポロポロあふれ出る様な場面でも感情を爆発させない。 むしろ限りなく悲しく見えるような状況にユモアを加味して、観客の口元に笑みが浮かぶようにする。

映画は全体的に淡
としたトーンを維持する。 パクジンピョ監督は生きながら近寄りうる不幸をありのままに描く。 ジョンウの障害は日常生活をますます不便なものにするが、ジスがジョンウを愛するのに於いては決して障害がない。各人物の置かれた現実を見せた後、パクジンピョ監督はいかなる状況が生じても愛する人を捨てられない勇気があなたにもあるのかと静かに尋ねる。 計算的でない純粋な愛が観客らの心の琴線に徐に響く。

至高至純な愛は私たちの精神的な空虚感を埋めてくれる。 徐々に死にゆく男と、彼のそばで見守り苦しみをこらえなければならない女の話の構図は、実は特別に新しいことでもない。しかし監督の真心と俳優らの熱演は、陳腐なものになりがちの話に生命力を吹き込んだ。 偶然から始まったこれらの出会いは運命になって、観客の心に愛という力が与える偉大さを感じさせてくれる。

世の中にはこんな愛もある。生と死の岐路の前でゆるぎない愛の話を素材としていたが、映画は決して荒唐無稽な愛の姿を描いていない。ルー・ゲーリック病
と手に負えない死闘を繰り広げるジョンウと、彼のそばで見守るジスの感情変化を繊細に描き出すと同時に、ジョンウとジス周辺の現実的な姿を撮りこぼしていない。ジョンウと同じ病室を使っている人の話からは大切な家族愛に出会える。

パクジンピョ監督の以前の作品がそうだったように<私の愛、私のそばに>の核心に位置した単語は愛だ。 映画は現実という壁の前で崩れやすい愛という感情や、切ない喪失の痛みをやわらかくいたわってくれる。二人の愛が力を発揮できたのは肉体的、精神的苦痛まで耐えながら、役割に没頭した2人の俳優の演技があったためだ。 ジョンウを演技したキムミョンミンは愛する人に対し、すまない気持ちとやるせない思いを暖かく伝えながら陳腐さをうまく避けていく。 配役のために7年間伸ばしてきた髪を切ったハジウォンの演技が一層深くなった。 夫を献身的に看護するジス役を担って観客の感情を刺激する。

<私の愛、私のそばに>では強引に感動を誘導する装置がない。徐々に植物人間に変わっていくジョンウのキャラクタ
にたやすく憐憫を感じない。 映画は彼が耐え抜かなければならない状況をありのまま見せながら、ルー・ゲーリック病に対する深い理解に到達する。 韓国内だけで1500名余りを越える患者がいるがルー・ゲーリック病に対する一般人の関心はきわめて低調である。 『世の中で最も残忍な病気と呼ばれるルー・ゲーリック病で苦痛受ける患者の方たちに社会的関心を誘導して、少しでも助けになりたかった』と言うパクジンピョ監督の望みが叶えば良いであろう。

記事原文はこちら↓

http://www.maxmovie.com/movie_info/sha_news_view.asp?newsType=&page=&contain=&keyword=&mi_id=MI0085750870


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