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「根の深い木」二人の評論家の見方  [【韓国ドラマ】根の深い木]

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先日見終えた韓国ドラマ「根の深い木」関連記事です。

二人のTV評論家がこのドラマを「父親の束縛を克服する息子の話」あるいは「媒体として機能していくハングルの役割」に着目して解説しています。

この記事は韓国で「根の深い木」の第14話が放送された後に出たものですので、ドラマを14話までご覧になっていない方にはネタバレになります。どうぞご注意ください。

また登場人物名は韓国SBS公式サイトに漢字表記が出ていましたのでそちらを使用することにしました。
主人公の名前を一応ここに書いておきますね。

 世宗=イ・ド=李祹(ハン・ソッキュ扮)
 ハンジッコル トルボク(幼年期)→カン・チェユン=姜彩允(チャン・ヒョク扮)
 タム(幼年期)→ソイ=咲梨(シン・セギョン扮)
 チョン・ギジュン=鄭基準

このくらいにしておきますね。

また文中に出てくる難しい時代劇用語の単語ノートは省略しました。
  

「根の深い木」vs「根の深い木」 この豊かなテキストの読み方
 <10 asia>TV vs TV  2011.11.23 14:00

卑俗な言葉をさらりと言ってのける王、王の大義をあざ笑う民衆、ハングル創製の中心に位置した宮女。SBS「根の深い木」の人物たちは一般的な時代劇が提示してきたステレオタイプからはるかにずれている。それぞれの意志で動く彼らは朝鮮という時代の限界をぶち壊すと同時に時代劇のクリシェ(cliché/決まり文句、常套句)を打ち破るドラマの最も大きな力になってくれる。

この豊かなテキストを二人のTV評論家はどのように見ているのだろうか。チョ・ジヨンTV評論家が「根の深い木」を父親の束縛を克服していく息子の話として読み、キム・ソニョンTV評論家は媒体として機能するようになるハングルの役割に注目した。彼らの視点を手引きに「根の深い木」を詳しく見てみよう。/編集者註


父は死んでも死なない

死んだ父親たちは生きている息子や娘の人生に絶えず介入する。「ハンジッコル トルボク」(チャン・ヒョク)はただ父親の仇を討つという一念で兼司僕カン・チェユン[姜彩允]になり、宮女ソイ[咲梨]/タム(シン・セギョン)も父親の死に直接の責任があるという自責の念から長い間ひどい不眠と沈黙に苦しめられた。

チョン・ギジュン[鄭基準](ユン・ジェムン)は伯父のチョン・ドジョン[鄭道伝]が設計した朝鮮を再び取り戻そうと実に24年間ペクチョン[白丁]のカリオンとして生きていた。イ・ド[李祹](ハン・ソッキュ)はどうなのか。彼にとって父の太宗は恐怖そのものであり克服の対象であった。望もうが望むまいが彼ら全てが父親の束縛から抜け出せない。

父親、理解したり決別したり

i216s0012.jpg息子たちにとって父親とは最初のあるいは唯一の世界になるものと決まっている。姜彩允と鄭基準は父親あるいは父親が構築した世界に対する愛着が相当深いタイプだ。父親の世界は無条件に正しく善良で復元されなければならない。

その世界を破壊した者は当然懲罰を受けなければならず、二人が目標とみなしている人物は結局同じ人物だ。父親の死に責任がある者、すなわち李祹がその目標の人物だ。李祹の没落は姜彩允と鄭基準の理論的な連帯を可能にする具体的な目標になる。

しかし李祹の立場はそんなに簡単ではない。まず父親との関係が複雑なためだ。李祹は父親の遺産を受け継ぎながらも、父親の方法論に従わないことにした息子だ。「富強で強盛な朝鮮」という方向は同じだが、その道に至る方法を新しく探さなければならない。そこで李祹は絶えず葛藤し自分を責め不眠の夜を過ごす。

どの角度で見ても彼には敗北の影がちらつく。新しい文字を作ろうという彼の意志は姜彩允に代表される民衆の至難の人生を救えることができないように見え、鄭基準を中心とするミルボン[密本]の強大な組織力や性理学的原則と敵対することも大変そうに見える。墓の中の太宗もやはりあざ笑っているだけのようだ。

しかし「根の深い木」は後代の歴史が全てわかっている世宗の「偉大な」勝利談を描いていない。むしろより注目すべきことは葛藤の様相や現れた葛藤と対立して戦ったり、説得したりそれを封じ合せる方式だ。

あなたはどちら側ですか

創造論と進化論のように共存が不可能な世界観がある。あちら側の欲望を潰してこそこちら側の欲望が前進できる。鄭基準と李祹は共存できない。各自には与えられた時代的召命が違う。政策的路線も違う。この対決がなかなか優劣をつけるのが難しいのは、両方とも自分なりの説得力と論理を整えたためだ。

ところがこの伯仲した対決で勝負の鍵を握っているのは、どちらの側にも属していない姜彩允だ。いわば姜彩允は消費者であり有権者になる。この勢力と連帯しないならどちらの側も勝つのが難しい。

「所有したこともなく、学んだこともない」階層は誰を選ぶようになるのだろうか。「根の深い木」の登場人物は信念や欲望がはっきりしている。自分の欲望を実現させる人間は支持して補佐する。それで「根の深い木」は普遍的でありながらも論争的な政治的テキストとしても読める。

既存の時代劇が長い間踏襲してきた、善と悪の対決という簡便な構図がこのドラマにはない。先代の遺志を崇めて「偉業」を成し遂げるという乱世の英雄的自負心は弱い。ただ「チラル(むかつく、くそったれ)」のような現実を各自信じる方法で突破していこうという粘り強さが浮き彫りになるだけだ。

その争いで結局は優位に占めるようになる李祹の戦略は、結局彼が父親の論理を無条件に従ったり、あるいはひたすら反対方向へ突進した事でなく「別の答え」を探そうと苦心したという点だ。苦労の末に探し出した答えが巨大な時代的共感を呼び起こした点が鄭基準が建てようとしていた「宰相の国」論を突破していった秘訣なのだろう。

李祹の答えが正しいからではない。違う答えはいつも不慣れで不便だ。その時代に亀裂と混乱をもたらす。それをある者は革新だといった。今日を生きる私達もいつも革新を恐れたり、魅力に惑わされる。「根の深い木」はそれとなくこんな質問まで投げかけているようだ。今ドラマを見ているあなたはどちら側なのかと。 
文:チョ・ジヨン


「おまえは何もできない」李祹(ハン・ソッキュ)の子供の頃、鄭基準(ユン・ジェムン)が彼に投げかけた言葉はこのドラマの全体を貫く捕縛の呪文になる。

戊戌年(1418年)のあの血の日、岳父(シム・オン[沈温])の無実の罪による死を前にしても「私は何もできない」と言いながら涙を流すことしかできなかった李祹だけでなく、トルボク(チャン・ヒョク)とタム(シン・セギョン)もやはり殺害された父親を救うために何もできなかった。それはただ権力の有無の問題を越えて最初に彼らが何をすればいいのかさえ悟ることができなかったためだ。

こうして全ての物語と歴史は「何もできなかった」者たちが何かをしなければと決心した瞬間からようやく始まる。

ハングル、民衆の声を詰め込んだ転覆的媒体

2011112215374561364_2.jpg「李祹の全てが始まる」ことになった日は彼が父親の太宗(ペク・ユンシク)に立ち向かって初めて民トルボクの命を救い、彼の朝鮮に対する答えを見つけた瞬間からだ。彼は朝鮮が強い力で民衆の上に君臨する君主の国家でなく、民衆が彼らの意見を主体的に語りながら王の審判になってともに進歩する国家になることを夢見る。

咲梨(シン・セギョン)に紙と筆を与えて「これからこれでお前の意見を書いて考えを書け」と言っていたように、李祹は全てのことをやるたびにいつも周囲の考えを聞く。李祹が彼の生涯をかけた問いの「最後は文字を作ることだ」と決心したのは当然だ。

民衆に自らの考えを表現できる媒体がないということは、彼らが根本的に認識論的に文盲状態にあるという意味であり、これは即ち彼らを現実で何もできなくさせる原因であるためだ。

こうしてハングルは単純な表現手段を超えて自分の声と考えが無かった民衆を主体的な存在へ目覚めさせる力になる。咲梨の変化はそれをよく見せてくれる。

文字を知らなかったため愛する人たちを死なせたという自責の念と無力感に苦しむ咲梨はその罪を少しでも償うつもりで李祹のハングル創製を手伝う。その過程で自分の名前さえ話すことができない存在であった咲梨はついに名前と声を取り戻すようになり、より一歩進んでハングル創製が即ち「自分の大義」であると悟る。

一方、トルボクは李祹にたかが文字ごときで何ができるのかと問い返す。彼は全ての人々の中で最も無力に殺害された知的障害を持つ下男の息子であり「賤しい者」に過酷な現実の矛盾に対し骨の髄まで深く怒る者だ。

しかし李祹の表現通りそこから「最も遠くにいる者」であるトルボクが李祹に投げかける痛烈な問いこそハングルが本当に民衆のための文字になるのに審判の役割を果たすのだ。彼が父親との幻影の中の対面を通して象徴的な死を迎えて「ハンジッコル トルボク」として帰還するのは、やはり程なく「自分の大義」を見つける準備ができたことを語ってくれる。

「根の深い木」が代行する問い

「根の深い木」で両班が王に自分たちの主張を伝達できる手段は経筵、各種会議、上疏文、宮殿外での示威、貼り紙などいくつかだ。しかし民衆は自分の意見を表現できる媒体がない。その上李祹が民衆の声を聞こうとする努力さえも既得権層によって何度も挫折する。大臣たちの反対を押し切って実施していた大々的な世論調査は官僚たちにより捏造、歪曲され宮殿の中へ招くのもまた事あるごとに牽制を受ける。

李祹がハングルを作った理由は結局民衆の声を聞くためだ。彼は民衆が「文字を知れば答えが出なかったとしても、答えをより多く作る方法を分かるようになるだろう」という。これはまるで民衆一人一人の声を代案言論のように扱うことだ。

「上の方の人たちの大義が自分たちを殺すのか生かすのか両目をしっかりと見開いて」見届けなければという咲梨の言葉や彼らが審判にならねばという表現もまた言論が果たす役割と同じだ。

そして彼らが作り出す問いと多くの答えの合計がまさに李祹が建てようとする朝鮮という国だ。底辺からの言論を続けて統制し国民に「お前は何もできない」というこの時代に「根の深い木」は私たちが投げかけるべき問いを代わりに教えてくれる。
文:キム・ソニョン

記事原文↓
http://m10.asiae.co.kr/view.htm?no=2011112215374561364

◆単語ノート◆
・육두문자(ユクトゥムンチャ/肉頭文字)…猥談など卑俗なことをいう言葉
・굴레(クルレ)…馬や牛などを働かせるため頭と首で手綱にかけて縛り付ける綱≒기반(キバン/羈絆…くびきをかけるという意味で、自由を拘束したり抑圧することを言う言葉)不自然に縛られることを比喩的に言う言葉 束縛
・시각(シガク/視覚)…視点、見方、観点
・톱아보다(トバボダ)…隅々まで探りながら調べるという意味の固有語
・겸사복(キョンサボク/兼司僕)…朝鮮時代の精鋭騎兵中心の親衛軍
・-하든 -하지 않든(~ハドゥン~ハジアンドゥン)…~しようが~しまいが ~しようと~しまいと
・-게,-기 마련이다(~ケ、~キ マリョニダ)…~するものだ。~することになっている。~するに決まっている。~するはずだ。
・유형(ユヒョン/類型)…類型、タイプ
・팽팽하다(ペンペンハダ)…ピンと張っている。力が釣り合っている。五分五分。伯仲する。
・보필(ポピル/輔弼)…王・君主などの施政を補佐すること
・대안언론(テアノルロン)…代案言論(既存の主流言論に対抗する批判的で規模の小さな新しい概念の言論) 
・시퍼렇다(シポロッタ)…真っ青だ。凄い剣幕だ。元気でぴんぴんしている。刃がぎらぎらする。


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