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ベバ監督インタビュー記事その4「イ・ジェギュ ウィルス HAPPY VIRUS」 [【韓国ドラマ】ベートーベン・ウイルス]

そろそろインタビューの核心へ。
ルミのキャラクターやカン・マエとルミとのことについて語っています。

ELLE.co.kr > STAR > ENTERTAINMENT > TV > 20081212日付け記事より
イ・ジェギュ ウィルス HAPPYVIRUS(ハッピー・ウィルス)

シン・ギジュ記者(以下シン):それが間違っていれば人々は現実味を感じられなくて顔をそむけてしまいますね。

イ・ジェギュ監督(以下イ):偽りの話なのに現実的に感じられるようにするのがキー・ポイントでした。しかし、1話と2話を撮りながら迷っていたせいで、そのトーンをまともに持って行く事ができなかったのです。

残念なのがルミのキャラクターです。ルミという人物は本当に浮いているキャラでした。ところが撮ってみるとどうも浮ついて見えるのです。それで少し落ち着いたキャラクターに変更しました。

初めのルミはお転婆でトラブルの塊です。あらゆる事は彼女の行動から始まります。それを捨てました。今思えばもっとも悔やまれます。そんな浮いたトーンを維持すべきでした。

シン:トゥ・ルミのキャラクターは初めに明朗マンガであり後には純情マンガになります。

イ:実は初めにルミのキャラクターを説明しようと色々事件を引っ張ってこようとしました。何故ルミがオーケストラを作るより他にしようがないのか。何故音楽をあきらめられないのか。フラッシュバックを使ったら人物を少しでもよく説明できたでしょう。事実他の人物たちにはそんな出来事を配慮してあげたのですが、ルミにだけ唯一そんな暇がありませんでした。

パク・ウンソン記者(以下パク):トゥ・ルミという人物は結局
カン・マエやカン・ゴヌを通して見るようになったようです。トゥ・ルミという完全なキャラクターで見るのではなく。

イ:話し手になってみるから。本当に初めに考えていたトゥ・ルミのキャラクターをすぐに押さえつけてしまったことが一番残念です。

シン:トゥ・ルミが恋に落ちてそうなったのではないですか?

イ:(笑)トゥ・ルミの本来のキャラクターを維持しながらでも恋に落ちることはできましたよ。

シン:恋愛路線に関しては批判も多かったです。ご存知でしょう?その上、キム・ミョンミンという俳優が恋に落ちるのはどうもぎこちないです。

イ:実は恋愛路線を初めから作ることもありませんでした。それは、このドラマがやろうとする物語が人間の生きることですから。「ベートーベン・ウィルス」はそれぞれの人物が自分の道から抜け出して新しい自分を探す物語です。カン・マエには何よりそれが愛でした。

シン:「ベートーベン・ウィルス」が恋愛路線へ行く時は少し興ざめでした。丘の上の大きな木の下で男女が出会って何するというのは少し照れくさいじゃないですか。クリシェ(陳腐な決まり文句)です。そうこうするうちにカン・マエがまたトゥ・ルミに送った花を踏みつけながら私の音楽が変わったと言う時、これでやっとまともに行くのだなあと思いました。

イ:クリシェですよ。実は花を踏んでからがもっと悩みでした。人々はすでにカン・マエにはまっていました。今まさにカン・マエが愛のために壊れて自分を見失わなければならないのに、そんなのダメだという状況になってしまいました。

視聴者たちはもともと自分たちが見たがるものを見ようとする地点があります。私としてはその期待を充足させながらもまた壊さなくてはならなくて、それを整理するのが難しかったです。

甚だしくは作家の方たちと私の考えも違っていました。作家たちは花を踏んでからカン・マエが結局自分の居場所を見つけ成長したと見ます。個人的に私は反対です。

カン・マエは既に壊れたのです。避けられない道へ踏み入れたのです。自分の音楽を失ってしまったのです。私はカン・マエをそのように理解しているのですが、視聴者たちはまた違うように考えます。カン・マエが音楽的にもっと成熟したことをドラマが描いてきた一面もあるので。

シン:結局カン・マエはミュンヘンのオーケストラへ行くじゃないですか。ハッピー・エンドでしょう?その後も末永く幸せに。

イ:実は私は花を踏む瞬間から既に崩れたと考えました。本当は時間がもっとあって、もっと考えることができたのなら作家たちと長く論争をしたでしょう。或いは崩れるカン・マエを見せてあげられたかも知れない。けれどもそうするにはカン・マエはあまりにも多く愛されていました。

シン:一体何故ベートーヴェンの第九だったのですか。

イ:実は私は音楽をよく知りません。クラシックはもっとわかりません。作家たちが選んだのですが、「歓喜の頌歌」がその時代には大変に挑戦的な曲だったということです。一つの時代から次の時代へと移る曲でしたし、何よりも「ベートーベン・ウィルス」の人物たちのように絶望から希望を見つける歌なので選びました。

ルミが自殺しようとした時、水中で弦楽四重奏を見るじゃないですか。水の中は呼吸が出来ない死んだ空間ですが、同時に母親の胎内のように一番居心地がよくて安らかな空間です。その中でルミは絶望と希望を両方見るのです。ベートーヴェンが耳が遠いままで作曲したという交響曲第九番こそそんな印象があると感じました。もちろんこのドラマではベートーヴェンの曲を必ず使わなければなりませんでした。

シン&パク:(無邪気に)何故?

イ:タイトルが「ベートーベン・ウィルス」じゃないですか~。
【つづく…】

ルミですが、耳の病気を抱える事になっても序盤のように「ワハハハ~」と明るく笑いながら無邪気に、そしてちょっと強引に事を進めてしまうキャラを維持できるのでしょうか。私はTVで放送されたとおりの後半の落ち着いたキャラクターのルミが好きです。途中でキャラが変わったのは、耳の事が原因していると勝手に解釈しています。そしてきっと誰もいない場所で、一人でたくさん泣いていたんだろうなと思いながらキャラクターの変化を受け止めています。

確かにカン・マエとのことは物分かりが良すぎる気がしましたが、でも日本人だからでしょうか、控えめな態度にむしろ広い心ですべてを包むような大きな愛の形を感じました。


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真琴

花かんざしさん、こんにちは♪

ああ、花かんざしさんの読みに深く共感です。涙がでます。花のふみつけだけでも、十分に私としてはショックだったので。。

放映当初の恋愛路線に興ざめ、という批判記事はほかでも読みました。でもふたをあければ、たぶん、自分と同世代の女性たちでしょうか(中には男性もいるのでは?と思いますが)、マルカップルMVがYTにあふれてるではありませんか!ルミとの出来事はカンマエの本質を物語っています。

監督さまが急いで決定して、急いで作り上げなくてはならなかった様子がみえてくるようですね。ああいう終わり方しか、なかったのではないでしょうか。ルミがかかえる全失聴、というのはあまりにも悲惨な現実でした。あれ以外にどうやって、話をすすめられたでしょう。ルミの悲しみを描けば話がぐずぐずにくずれてしまったでしょうから。カンマエの人気をふまえつつ、全体をかかなくてはならなかったのですから、あれでよかったのだと思います。全体を描きながら、オケの音楽に配慮しながら、素敵な構図の名シーンをよく描いてくださった、と思います。素晴らしい指揮者ですね。
by 真琴 (2010-02-11 13:59) 

花かんざし

真琴さん、こんにちは♪
コメントありがとうございます。

私もマルカップルに幻想を抱いていた一人だったので、恋愛路線が興ざめという批判はちょっと辛かったです。この記事、正直一年以上たった今だから訳せる部分もあります。やはり男性から見る視点はちょっと違うようですね。

真琴さんのおっしゃるとおり、ルミが背負う事になったものはちょっと重すぎますよね。ルミの内面を掘り下げて描くと悲しすぎる物語になってしまうでしょう。監督様は制作過程でたくさんのものを諦めながら仕上げておられたので、後から思うと惜しい部分が多いのでしょうね。

でも、前にも書きましたが、ドラマのことを一番考えているのは作家と監督だと考えていますので、時間に制約があったかもしれませんが、放送されたものが最善のものだったと私は思います。

終わり方も、ちょっと残念だったという話をよく耳にしますが、でもよく考えてみると、すっきりと終わったドラマほど、後に何も残らないものです。最後まで見せずに方向性だけを示した終わり方でしたが、私はそれで良かったと思います。本当はきっちり結末を見届けたい気がしますが、見た途端このドラマが自分の中で終わってしまいそうです。

by 花かんざし (2010-02-12 14:29) 

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