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ベバ監督インタビュー記事その5「イ・ジェギュ ウィルス HAPPY VIRUS」 [【韓国ドラマ】ベートーベン・ウイルス]

監督のインタビュー記事訳、その5です。
その4から引き続きこのドラマの大きなテーマ「音楽」について監督が語っています。どうしても比べられてしまう「のだめカンタービレ」との違いも少しお話されています。

ELLE.co.kr > STAR > ENTERTAINMENT > TV > 20081212日付け記事より
イ・ジェギュ ウィルス HAPPY VIRUS(ハッピー・ウィルス)

シン・ギジュ記者(以下シン):音楽がもう少し出てきたらなあと思いました。音楽が主人公であるというよりは台詞と毒舌が主人公のドラマになりました。

イ・ジェギュ監督(以下イ):音楽はかなり出ていると思います。ただ今のように40秒や50秒位ではなく、1,2分以上流れたら良かったのですが。人々が音楽を感じようとするなら最小限ある程度の時間を越えなければなりません。それを補うことができなくていつも残念でした。

シン:「のだめカンタービレ」を見ると「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」が主人公の千秋とのだめを繋いでくれる音楽的なテーマの役割をします。「ベートーベン・ウィルス」ではそれだけの曲がありません。音楽ドラマであるというのに。「プレミア」のある筆者は代わりに「ベートーベン・ウィルス」には台詞や毒舌が多いと批評を書きました。

イ:私は反対です。私は「ベートーベン・ウィルス」でも音楽が大きな役割を果たしたと思います。例えば「ネラ・ファンタジア(ガブリエルのオーボエ)」だけ見てもオーケストラ団員たちがカン・マエを心から受け入れるようになるきっかけとなった音楽です。

「のだめカンタービレ」では千秋とのだめが関係の中心であったためにそのように音楽を繰り返し使用することが可能でした。反面「ベートーベン・ウィルス」は様々な人間が様々な関係を結びます。それで様々な音楽が多彩に使用されました。ただその音楽が視聴者たちに刻印されることも無いくらいにとても短く登場していたのが残念でした。気持ちとしては数分位使いたかったのですが、1分から2分がやっとでした。

10話の頃に
ベートーベンの第九「合唱」が使われていたことも、実はその場面は水災避難民たちが登場して色々と新派的なのですが、それを音楽が相殺させてくれました。それは本当に音楽の力だとしか説明できません。

シン:
「ベートーベン・ウィルス」の団員たちは音楽に狂いました。何故夢中になったのですか?あなたはドラマを撮る時にはほとんど狂った人のようです。特集放送を見たら撮影の最終場面では髭まで生えていましたね。あなたは何故そのようにのめり込むのですか?

イ:本当にとてもやりたいから。あの人々も音楽が切実ですから。音楽をやらなければならない事情に対して一番軽く扱われていたルミでさえも本当に切実です。もちろん「ベートーベン・ウィルス」はそれをもう少しカリカチュアライズ(戯画化)して少し深刻に描いたのです。しかし切実なことは事実です。私にもドラマは切実です。必ずしなければなりません。

シン:しかしドラマが思い通りに評価されないことがいつも不満ではないですか。ドラマの評判が無いといつも残念がっていましたね。あなたにはそんなにも切実なドラマなのに。

イ:ドラマではいつも俳優と監督と作家が意図しない地点があります。本能的に動く瞬間があるもので。しかしそれはやはり創造の過程であり結果物です。誰かがそこでも何らかの意味を見付け出してくれたら良いでしょうにそんなものはありません。

シン:ドラマの演出家は撮影現場で絶えず自分の欲を捨てなければならない人です。この位だと思って来るけれど、現実に合わせて何を諦めるのか早く判断しなければなりません。また何を探し、何をするのか決定しなければなりません。あなたは欲の多い監督です。いつも苦しむより他にありません。

イ:先輩方から聞いていた話です。あきらめる方法を学ばなければなりません。ところで人間というものは利に聡い動物です。放棄に慣れてくるとどんな事をあきらめたり、しなかったりという計算が速くなります。コンピューターと人間が違う点は(何度も)同じ計算をさせるとコンピューターは同じ時間がかかりますが、人間は速くなるという事です。

私はそんなことをしないようにします。適応してしまえば速く計算して判断し諦めます。この状況で私が固執すればどんな被害が来るのか明らかなのですが、それを固執するのが難しいのです。それなのに私はいつも全く同じ時間を投資しようとします。諦めるのに同じような時間を使おうとします。あまり慣れてくるとマンネリに陥るので。

シン:諦めずに妥協せずにしようとするのはカン・マエです。

イ:カン・マエも同様です。自分が考える原則があるのです。しかし「ベートーベン・ウィルス」だけ見ても本当に絶えず横から上から下から攻撃が入ってきます。そうして諦めるようになるのです。けれども放棄するとしてもかなり抵抗します。

シン:撮影現場でカン・マエのように振舞う時がありますか?

イ:本当に毒舌を浴びせる時があります。いつだったか撮影現場でスタッフたちが私の陰で重要な話をしていました。ところが私は演出に集中しようと神経がピリピリしていて、それで私はすぐさま悪態をつきながら「出て行って騒げ」と言いました。たぶん酷く傷ついたことでしょう。

シン:カン・マエの特徴をよく毒舌だといいますが、彼は自分が望むことのためには極端に利己的に出来る人物です。自分が望むことのために自分だけを眺められるのか。それが、カン・マエが投げかける質問であるのでしょう。

イ:自分が行かなければならない道、自分が望むことのために自分だけを見つめる人がカン・マエです。

ドラマに登場していたカン・マエの過去の中で愛していた女と別れる場面があります。作家たちは実はその場面は不必要だと反対しました。女と別れて雨に打たれ転び倒れてから仔犬のトーベンと出会う場面でした。

全部は出ませんでしたが、そこで女がカン・マエにこう言いました。「あなたが私を愛するかと思ったのに」カン・マエが言います。「そのように言ったことはない」この瞬間こそがカン・マエを端的に見せてくれる場面です。カン・マエは自分を保護しなければなりません。鉄壁の城を築いてその中に入って行き、自分だけを見つめてこそ音楽をやることができるのです。
【つづく…】

「ベバ」で使われたクラシック音楽はざっと数えてみたところ100曲位ありました。監督様はもっと音楽を長く流したかったと話されていますが、ルミのテーマ、カン・マエのテーマに相当するようなクラシック曲もありましたし、公演シーンも時間をかけていたので、私はたくさん使われたと思います。

でも、ベバの場合OSTの歌や曲もかなり効果的に使われていたので、クラシック曲が少ないと感じるのかもしれません。

ところで、記事を読んでいくとカン・マエとイ・ジェギュ監督には共通点が多いようです。監督自身の中にある本質を戯画化するとカン・マエが出来上がるのかもしれませんね。一つのことにのめり込むところ、簡単に諦めないところ、自分の信念を貫くために時には毒舌を浴びせるところ。

でも、出演者のインタビューなどを読むと監督はカン・マエと違って毒のない方で、俳優、演奏者、スタッフのことを常に配慮していたそうですね。スタッフ全員のお名前も覚えられたそうですし。グンソク君がインタビューで監督のことを「天使のような人」と表現されていたのが強く印象に残っています。


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