済衆院とは? [【韓国ドラマ】済衆院]
さて、韓国ドラマ「済衆院」16話まで視聴しました。主人公ファン・ジョンを高く評価していた初代院長アレンに代わり、新しい院長ヘロンがやってきました。ヒロインのソンナンは主人公ファン・ジョンの秘密を知ることになり、ドラマは次なる展開へと発展しそうです。
ところで、この「済衆院」はかつて韓国に実在していた病院で、その後延世大学、セブランス病院へ発展しました。その「済衆院」について、韓国SBS番組公式サイトに紹介記事が書かれていましたので拙い訳ですがご紹介します。
濟衆院とは?
韓国初の西洋式王立医療機関として1885年4月10日(高宗22年2月25日)、アメリカの宣教医師H.N.アレン(韓国名:安蓮)がソウル齋洞に王立廣惠院を設立した。
アレンは1884年9月北米長老派教会の医療宣教師として韓国に来て活動していた間、甲申政変(訳者注:1884年(甲申)12月4日郵便局開局の祝宴で起きたクーデター。金玉均ら急進開化派が政権を奪取したものの清国軍が介入し新政権は三日天下に終わった。)の時に刃物で刺され重傷を負ったミン・ヨンイク(閔泳翊)を治療して命を救ってやったことが縁になり高宗の寵愛を受け、王室の侍医として任命され、病院の設立を建議して高宗の許しを得た。
政府は廣惠院の規則を裁定し、医療陣としてアメリカ人医師のアレンを招聘して患者の診療を実施した。この他に病院運営を受け持つ管理と事務を担当する職員を置くなど医師アレンを除いては全て韓国の管理で組織を構成した。廣惠院は開院2週目の4月26日(高宗22年3月12日)統理交渉通商事務衙門(訳者注:外交を担当していた官庁)の啓(意見)に従って濟衆院へ名称を変更した。
濟衆院を訪れる患者数と業務量が多くなると宣教師J.H.ヘロンが加勢して医療活動に従事した。1886年女医A.I.エリスが来ると同時に婦人部が設置され、翌年クリゲ(現在の乙支路入口 韓国外換銀行本店)へ移った。
高宗は濟衆院の医療活動を高く評価し、アレンとエリスに堂上官(訳者注:正三品堂上官)の品階の官職を下賜した。
【韓国SBS済衆院番組公式サイトより】
現在も済衆院を身近に感じられる場所があるようです。(画像はEnCyber百科事典より)
延世大学構内に復元された廣惠院
韓国外換銀行本店裏の濟衆院址
コメント 0
コメントの受付は締め切りました