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児童用伝記「徳恵翁主」~はじめの言葉~ [【韓国小説】徳恵翁主]

韓国でベストセラーになっている「徳恵翁主」ですが、私には難しく簡単に読めないので子ども向けに易しく書かれた別の「徳恵翁主」から読み始めました。

この伝記を読んで初めて徳恵翁主について知る子どもたちも多いことでしょうね。そんな現代の子どもたちに対して徳恵翁主のことをどのように紹介しているのか興味もありました。

この本の「まえがき」を読むと言葉一つ一つをとても慎重に選んで書かれているという印象を受けました。本の内容も本馬恭子さんの「徳恵姫」に書かれている内容に近く、病気のことや夫のことも感情的にならずとても客観的に書かれていたと思います。

今回はこの本の「まえがき」をご紹介いたします。大人たちからこれからの未来を担う子どもたちへのメッセージのような文です。

徳恵翁主1200.jpg

朝鮮の最後の花 徳恵翁主
文:韓国歴史論述研究会

はじめの言葉

半万年(5000年)の歴史を持つ我が国、大韓民国。その中でも最も苦しかった時期である日帝強占期の高宗と純宗の時代。この本はまさに大韓帝国最後の王室の物語であり、最後の王女である徳恵翁主の物語です。

この時代は悲しみと憤りの時期でした。一つの国の王はその力を失い、国王という地位からも退かなければならず、民たちは国を失う悲しみを経験しなければなりませんでした。

ところで、国を失うとはどういうことでしょうか。日帝強占期であった当時、朝鮮の民たちは日本語で書かれた本を読まねばならず、学校でも日本語を使用しなければなりませんでした。私たちの文化は日本によって徐々に消されていきました。戦争になれば強制的に日本軍になって引っ張られていき、朝鮮の独立を叫べば日本の弾圧を受けたそんな時代でした。国を失う悲しみは到底言葉にすることができませんでした。

これは王室もまた変わりありませんでした。日本は王室に対する監視を徹底的に強め、王族を日本化させるため様々な画策をしました。王室が日本化してこそ朝鮮の民たちもまた問題を起こさないだろうと考えたためでした。日本はこのように我が国を徹底的に植民地化させるため王室を利用しました。まさに徳恵翁主の悲しくも恨(ハン)の多い生涯がこれをよく物語ってくれるでしょう。

徳恵翁主は王族として生まれたにもかかわらず6歳になるまで王族に載せられませんでした。日本は王族が増えることを望まなかったからです。そして「徳恵」という名前も9歳になって初めて付けられました。

徳恵翁主をこの上もなくかわいがっていた高宗が亡くなるとすぐ日本は徳恵翁主を無理やり日本に行かせました。何の力も無い王室は日本の言われるままに従うしかありませんでした。高宗があれ程までにかわいがっていた一人娘であったので、民たちも同様に徳恵翁主を大切に思い、慕っていました。しかし国を失った民たちができることは旅立って行く徳恵を涙で見送ることだけでした。

現代に生きている私たちは国を失うという事がどんなことなのかわからないでしょう。そして自分の国で暮らすということ、自分の国の言葉、私たちの大切なものをまともに感じられないでしょう。まるで空気の大切さに気がつかないようなものです。

自分たちの歴史を知るということはこのように大切なものをもう一度教え悟らせてくれるきっかけになり、現在と未来を見通す眼識を養ってくれると言います。徳恵翁主と大韓帝国最後の王室の悲しみはまさに私たちの悲しみであり、これからも私たちが抱きかかえていかなければならない歴史の一部分です。

この本を通して皆さんが感じる悲しみと憤りが、国を考える心をますます深いものにさせてくれるきっかけになることを願います。


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まりこ

続けておじゃまします。花かんざしさん、翻訳お疲れ様でした。
前書きだけ読んでも、結構具体的に描かれた絵本のようですね。
おそらく日本は「韓流ブーム」で韓国が近くなってきたのではないかと思いますが、これがブームに終わらずもっと深く根付くといいですね。
先月の末に亡くなったヨンハさんの死を悲しむファンの姿を見て、ブラウン管を通して一緒に涙を流しながら、明らかに時代は変わってきていると思いました。人と人の間にできてしまう垣根をなくしてくれる人の死は本当に惜しく、ただただ悲しいことだけど、こんな出来事は一世代前では考えられなかったことではないかと。
彼は翁主とは全く違うけど、国と国の間に立ったという点では似ていると思います。彼のことも、そういう意味で人の記憶に残ることを願ってやみません。
by まりこ (2010-07-11 15:35) 

花かんざし

まりこさん、こちらにもコメントありがとうございます♪

日韓関係の変化のきっかけはよく2002年のサッカーのワールドカップ日韓共同開催からとも言われますが、私の感覚ではやはり「冬のソナタ」の爆発的なヒットからのように思います。

まことさんのおっしゃるとおり、悲しみも共有するようになってきたことは以前には考えられないことだったでしょうし、本当に変ってきたと思います。

いつも買っている「韓国語ジャーナル」の最新号の表紙がヨンハ氏なんです。
日本コンサートへの抱負を語っている記事を読むと胸が痛みます…
どうか安らかに…

by 花かんざし (2010-07-12 13:39) 

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